伝統に支えられた“高岡銅器”と、挑戦し続ける職人の熱い想いに触れたいアナタへ
そんな中、工房の跡継ぎたちを中心とした、若い職人たちが新しい試みを次々に打ち出し、県外のクリエイターも巻き込んだ大きなうねりを作り出している。
今回取材させていただいたのは、うねりの中心の一人である「有限会社佐野政製作所」専務取締役 佐野秀充氏。仕上げを担当する自社工房での仕事に加え、全体管理を行うプロデューサーとして、分業制で営まれてきた工房の調整役を担う佐野氏に、“高岡銅器”に賭ける想いをうかがいました。
高岡の鋳物産業の幕開けは、今から遡ること約400年前。慶長16年(1611年)に、加賀藩の二代目藩主・前田利長公が、近在から7人の鋳物職人を高岡に招いたことから始まる。当初は、鍋や釜、農具など、鉄が材料の日用品を作っていたが、やがて銅を使った梵鐘(ぼんしょう)や大仏なども作るようになり、“高岡銅器”の名が広まっていく。
「江戸末期には仏具や花瓶など装飾性の高いものを得意とするようになっていて、明治6年(1873年)にウィーンで開催された万国博覧会で受賞したことで海外でも知られるようになりました。その後、国内外で多数受賞し、1975年には、“高岡漆器”と共に伝統的工芸品の産地指定をいち早く受けています」(佐野氏)
“高岡銅器”として知られているが、鉄を材料とする鋳物づくりも続いており、近頃は錫(すず)やアルミ合金を使うケースも増えている。
材料となる金属が異なっても、溶かした金属を型に流し込んで固めるという鋳物制作の基本工程は変わらないが、それぞれに適した技法や技術がある。
「鋳物製品を作るには、型作りに始まり、鋳造(ちゅうぞう)、仕上げ、着色といった幾つもの工程があり、それぞれに専門家が必要です。高岡では、工程だけでなく、技法や材質などでも工房が分かれていて、一つひとつの工房に独自の技術があります。作りたいものに適した工房が担当し、連携することが、高岡の鋳物の精巧さを支えてきたのです」(佐野氏)
分業制の良さを活かすためには、適切な工房を選んで連携させ、全体を取りまとめるコーディネーターが欠かせない。佐野氏は自社工房の運営と並行して、コーディネーター、さらにはプロデューサーの役割も担っている。
1976年に佐野氏のお父様が創業された「佐野政製作所」は、分業の中では仕上げを担当している。佐野氏が幼い頃は念珠掛け(じゅずかけ)が大人気でとても忙しく、夏休みなどには、佐野氏も手伝っていたという。
「家業に親しんではいましたが、継ぎたいとは思えなくて。もっと華やかなことがしたいと思い、大学在学中に友人と飲食店の経営を始めました。友人が優秀だったおかげで順調に軌道に乗り、高岡市内で数店舗を経営するまでになりました。
それを辞めて家に入ったきっかけは、母の病気です。家族経営だから、仕事と家庭のことが直結しているんですよね。病気の母の代わりに弟や親父が家事をやっているのに、自分は仕事で朝帰りしているのがちょっと違う、しんどいなと思って」(佐野氏)
二人の弟さんと兄弟会議を開いた結果、長男である佐野氏が家業を継ぐことに決定。飲食店は友人に任せ、職人としての日々が始まる。
2,3年は工場にこもって仕上げ作業を行うだけで、外に出ることはあまりなく、よく見る顔の人としか話さない時期が続いた。「やってやるぜ」という気持ちで継いだわけではなかったという佐野氏を変えたのは、高岡伝統産業青年会に入り、先輩たちに刺激を受けたこと。
「先輩たちの話を聞いていく中で、仏具や置物を作っているだけでは売上が下がっていく一方なのが見えてきて、このままではダメだなと考えるようになりました。
同じ境遇の先輩たちが、色々な新しいチャレンジをしているのを見て、凄いなと思うと同時に、凄いなで終わりたくない。頑張りたい、と思ったんですよね」(佐野氏)
そんな佐野氏の前に、何軒もの問屋に断られたというお客様が現れる。どうにか形にしてあげたいと試行錯誤した結果、お客様に満足していただける形を創り上げることができた。
「その時、もったいないな、と思ったんですよね。必要な技術を持ち合わせている職人さんはいるのに、工房同士がうまく繋げられないために、実現したい商品が作れないのは。
昔は問屋さんがすごく勉強していて、工房との繋がりも強かったから、何でも作れてどんどん外に売っていけたと聞きました。今は問屋も減り、高齢化も進んで、そういう動きができる人がいなくなってきています。尊敬する先輩がかけてくれた、お前は勉強して、それになれ、という言葉にも背中を押されて、繋ぎ役を担うようになりました」(佐野氏)
記念品やノベルティを中心に、お客様から持ち込まれたリクエストがどうしたら実現できるかを考え、適した工房にお願いして各工程を繋ぎながら、商品を作り上げていく。
「お客様に依頼されたことをそのまま実行するのではなく、お客様が頭で描いているイメージに近づけ、望まれるクオリティを出せる方法を見つけて実現することを大切にしています。苦戦することはありますが、今のところ、無理です、とお断りしたことはないですね」(佐野氏)
時には、手描きのスケッチやイメージを綴った文章で、「こんなものを作りたい」というご相談をいただくことも。「どんなものからでも作りたいですね」と頼もしい笑顔を見せる。
佐野氏の心に火を点けた高岡伝統産業青年会は、クラフツーリズモ(工場見学ツアー)や、ギフトショーなどの東京で開催される展示会への出展、会員向けの勉強会など精力的に活動しており、佐野氏が繋ぎ役を果たす上でも青年会での繋がりが大きな役割を果たしている。
前期は佐野氏自身が会長を務め、県外 や職人以外の会員も獲得した。
「最初にデザイナーさんに入ってもらったことで、外の人として依頼するのと、中に入ってもらうのは違うことを実感したんですよね。中に入ってもらう方が断然いいな、と。
今は建築家やジュエリー作家さんにも入ってもらっています。僕らの側だけでなく、その方たちにもメリットがある活動の仕方を一緒に考えながら継続していきたいと考えています」(佐野氏)
「自分の工房は、今は家族だけで切り盛りしていますが、今後は人を増やして、できることを増やしたいですね。オーダー品だけではなく、アートパネルやドアストッパーなどの自社製品も手掛けています。自分たちの技術を活かしてもっと面白い、遊び心のあるものを作りたいと思っていて、新しくブランドを立ち上げることも計画中です」(佐野氏)
「高岡の伝統産業全体としては、分業制の良さをもっと活かしたいので、そのための新しい取り組みもやっていきたいと思います。高岡が得意とするのは、見た目や触り心地で心を豊かにするものづくりです。実物に触れて良さを実感していただく機会を増やすために、クラフツーリズモなどももっと盛んにしていきたいですね」(佐野氏)
“高岡銅器”の伝統技術を直接肌で感じたいと思ったアナタへ。
CRAFT LETTERでは、佐賀・“高岡銅器”の産地にある工房で、あなたのためだけの時間を「佐野政製作所」の職人さんに作ってもらうことができます。その考え方、技法に触れ、ただ直接話すもよし、オリジナルの商品を相談することも可能な職人さんに出逢う旅にでてみませんか?