とにかく、なんでもやってみる。創業90年以上の歴史を持つ“越前漆器”産地の「中野漆器」が貫く矜持とは

前略、90年以上もの歴史を誇る福井県鯖江の漆器工房が取り組む新たなチャレンジに触れてみたいアナタへ

新しいことに挑戦するとき、人はどうしても不安な心に襲われてしまうはず。「失敗してしまったらどうしよう……」「上手くいかないんじゃないか……」と、暗く陰る未来を心配してしまうことも少なくないはずです。

 

今回、お話をうかがったのは、福井県鯖江市を拠点に茶道具を中心とした“越前漆器"の製造をおこなう工房「株式会社中野(以降:中野漆器)」。伝統工芸としての漆塗りを現代へ繋ぐ役割を担う工房です。彼らが大切にしている想いと、新たな挑戦として開発した“URUSHI POKETLE”について、お話を伺ってきました。

 

中野 喜之(Yoshiyuki Nakano)氏 「株式会社中野」代表 / 1978年生まれ。1997年に福井県立武生商業高等学校を卒業後、約3年間他の漆器の工房で修行。その後、「株式会社中野」に入社。 

 

“誰もやっていないことをやろう” がモットー

 

福井県・鯖江市。自然に囲まれ、特に田畑の季節毎の彩りが綺麗な街は、眼鏡や和紙と並んで漆塗りが盛んな街として広く知られています。

 

“越前漆器”の起源は、約1500年前(古墳時代末期)までさかのぼる。当時、即位前だった後の第26代継体天皇が、壊れた冠の修理を片山集落(現在の福井県鯖江市片山町)の塗師に命じ、その塗師が冠の修理とともに黒塗りの椀を献上した。継体天皇が、その出来栄えに感動し、漆器づくりを片山集落で行うように奨励したのが、今日の“越前漆器”の始まりとして伝えられている。その後、“越前漆器”が一大産地となりえたのは、自然環境の存在が大きく影響しており、特に“越前漆器”の産地である鯖江が盆地という地形にあり、漆器づくりに適した温度と湿度が環境としてあったことが要因にある。

 

 

 

今回、取材に訪れた「中野漆器」は、創業90年の歴史ある”越前漆器”の工房です。ここでは、取締役の中野氏に会社の歴史や中野氏個人としてのご経験について伺いました。

 

「僕自身、幼い頃からずっと漆器づくりに関心を持っていました。僕の父である先代の技術を身近で見ていたのもあって。高校を卒業してから、三年ほど他の工房で修行をし、父のもとへ戻ってきたんです」(中野氏)

 

伝統工芸について語る際、いつもついて回るのが、後継者問題。後継ぎが見つからず、せっかくの事業を諦めてしまう工房も少なくありません。その点、中野氏の想いには何ひとつとして障壁がなかったといいます。

 

 

 

「高校を卒業してからの三年間で、“一閑張り” と呼ばれる技術を学びました。“一閑張り”とは、木地に糊の漆で和紙を貼り、その上から漆を薄く塗って仕上げる手法ですね。当時、父である先代はこの技術を持ち合わせていなかった。だからこそ、僕から父に対してなにか影響を与えられること、ひいては事業・業界にとってポジティブな風を吹かすことができるのでは、と思ったんです。誰もやっていないことをやろう、というモットーで働いていましたし、当時は職人としてだけでなく、営業マンとしても動いていたぐらいで。なんでもやる。とにかくやってみよう、という気持ちが強くありました。それは今も同じですね」(中野氏)

 

 

“なんでもやってきたからこそ、「できません」とは言わない”

 

若き頃から漆器づくりが身近にあったと話す、中野氏。そんな彼には、「中野漆器」に職人として入社してから、これまで続けてきた茶道具だけの販売戦略に限界を感じていたと話してくれました。

 

 

「会社としては、90年以上もの歴史があって。中野漆器はもともと、職人だけの会社だったんです。ほぼ茶道具だけを作り続けてきた会社でした。それが、今はそもそも茶道具の需要も減りつつあり、何か新たなことをしなくては、と考えて。その頃から営業職の方を雇用するようになったんですね。こんなことができますよ、こんなものを作ることもできます、と地域の問屋さんに営業するようになりました」(中野氏)

 

「そんな時、たとえば問屋さんから『こういったものを作ってほしい』といったご提案をいただいた際には、絶対に一度会社に持ち帰るようにしているんです。その場で「できません」とは言いたくないし、言わない。お客さんの『やりたい』という気持ちを、まずはどうすれば形にできるか考えるんです。そして、挑戦する。それはきっと、僕自身、他の工房で修行をしてきた経験からかもしれませんね」(中野氏)

 

 

「中野漆器」の新たな挑戦。漆塗りの水筒“URUSHI POKETLE”

 

営業が持ち帰ってきた現代のニーズに応え続けてきた「中野漆器」は、ポケットに入れて持ち運びができるボトル“POKETLE”と”越前漆器”のコラボで実現した本漆を施した水筒として“URUSHI POKETLE”を開発した。

 

 

 

 

商品開発の原点には、「漆器の文化をもっと日常生活にも広げていきたい」という思いがあったそうだ。“URUSHI POKETLE”は、「中野漆器」に在籍している若手の職人(20代、30代の職人さんも多いのだとか!)が、ひとつひとつ手塗りで漆を施している。背景には、“URUSHI POKETLE”が、販売による利益だけではなく、漆器づくりの基本である“塗り”技術の継承という目的も見据えた取り組みであるからだ。

 

「僕たち「中野漆器」は、これまでずっと、問屋さんがいなくては成り立たない会社でした。他の工房さんも、それは同じだと思っています。もちろん問屋さんには感謝の気持ちもありますし、これからもずっと良い関係を続けていきたいと思っていますが、僕たち会社自体の力をもっともっと付けていきたいとも思っていて」(中野氏)

 

 

「これまでは、産地と関わってくれる方々との繋がりがほとんど無かったんです。県外の方と関係性を持つのが正直あまり好きじゃなかったぐらい(笑)。ただ、新型コロナウイルスの感染拡大もあって、そんなことを言ってもいられないなぁと感じたのも正直なところです」(中野氏)

 

 

「新型コロナウイルスの影響で怖いぐらいに売り上げが落ちてしまったこともありましたし、やはり僕たちも会社単体として物を売っていく力や企画する力を持っていかなくてはならないなぁと感じています」(中野氏)

 

 

「“URUSHI POKETLE”は、そんな想いから、「中野漆器」としてはじめて作った「対お客さん」のアイテムなんです。会社向けではなく、一般のお客さん向けに作ったものですね。これは、京都の会社「DESIGN WORKS ANCIENT」とともに製造していて。アポなし、飛び込みの営業だったのですが、結果的に協業できることとなり、ほっとしましたね(笑)。ぜひ、多くの方に楽しんでいただきたいなぁと考えています」(中野氏)

 

おわりに

 

長きにわたって伝統を守りながらも、そこにあぐらをかき、意固地になってしまうのではなく、柔軟なマインドと気概でどんどん新たなことに挑戦していく。不安な気持ちに襲われてしまいそうになることもきっと少なくないでしょうが、きっと、中野氏のように「一度やってみる」や「飛び込んでみる」という気持ちが大切なのだと感じます。

  

「中野漆器」が持つ会社としての魅力や、「URUSHI POKETLE」の魅力はもちろんですが、それと同じかそれ以上に、「心の持ち方」を学ぶことができたような気がしています。ぜひ福井県鯖江市を訪れた際には、中野漆器さんを訪ねてみてください。柔らかで、穏やかな中野氏と、一度会ってみてください。きっと知らず知らずのうちに、彼のまっすぐな “漆器愛” の虜になってしまうはずです。

 

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