奥州藤原氏三代目の名を冠した秀衡塗。 東北の地に根ざした伝統工芸を現代に再発見する美意識、その技とは。

前略、秀衡塗の雅やかで力強くもある伝統的な美の世界を訪ね、普段使いの塗にもその美を見出したいあなたへ。

平安時代の終わり頃、奥州平泉で栄華を誇ったのが、藤原氏。その藤原氏は、京都の技術を取り入れて中尊寺金色堂など、数多くの工芸美術品を職人に作らせた。その一つが、漆器である。藤原三代目の名がついた「秀衡塗」は、重厚な形と、源氏雲に有職菱文を配した意匠が特徴で、黒、朱、金の雅やかな三色でいろどられた漆絵は伝統美にあふれている。

その秀衡塗の伝統を現代でも受け継いでいる数少ない工房が、岩手県一関市にある丸三漆器である。代表取締役社長の青柳真氏に話を伺った。

 

奥州藤原氏の栄華と伝統の美を今に伝える秀衡塗

 

秀衡塗は、平安時代末期に藤原秀衡が京より職人を招来し、この地方特産の漆と金をふんだんに使って器を造らせたのが起源とされている。また一説には、さらに遡ること延暦(782年)年代からこの地を治めていた安倍氏により、中尊寺のすぐ裏手にある衣川増沢地区で仏具や武具などの漆製品の製造が行われていたことにあるともされている。


「実は、歴史的にはいつ始まったかは、分かっていない工芸品なのです。藤原秀衡が京都から職人を呼んで作らせた漆器といわれていますが、平安時代から後は分かっていないのです。一番古いものが、戦国の安土桃山時代のものが残っています。

その特徴としては、雲形と呼ばれる雲の模様を描いて、有識菱紋という金箔が貼ってあります。有識菱紋というのは、平安時代の紋様で、その当時の公家の間の商業を表す紋様です。

菱形の場合は、当時の学者にあたる職業の人々の着物や調度品に使われていました。有識文様は、いろんな種類があって、菱形だけではなくて、亀甲紋とか波形の紋とかもあります。その中でも秀衡塗では、菱紋を描くのが伝統です。技法としては、雲形を漆で一回描いて、半分乾いたところで、金箔を貼ります。それが他の産地と違って、秀衡塗りでしかやらない技法で、半乾きのところに貼ると、金箔が取れずに使えるのです。他のところですと、菱形を直接描いたり、箔下という漆を使って直ぐに貼る技法があるようです」(青柳氏)


もうひとつの特徴が、漆絵であるという。薄い型打ちをして、ほとんどフリーハンドで描かれる漆絵が特徴だ。


「輪島塗の蒔絵のように繊細なタッチとは違って、筆の勢いを使って描く、わりと力強い絵が特徴です。色漆を使って、描くのが漆絵なので、うちでは、様々な色んな顔料を使っています」(青柳氏)

秀衡塗の丸盆
青柳真(Makoto Aoyagi)氏 1983年、岩手県一関市生まれ。大学卒業後、2年間東京で広告代理店に勤め、2009年(平成21年)に家業を継ぐため帰郷。商品企画、営業活動に従事し、父、一郎が開発した「漆絵グラスHidehira」の派生商品、「漆絵ワイングラス 富士・赤富士」を開発した。2017年(平成29年)より五代目を襲名した。また、弟、匠郎氏は「安比塗漆工技術研究センター」を卒業し、丸三漆器の塗師として従事している。

百年を超える伝統を誇り、受け継がれる技を駆使する丸三漆器


丸三漆器は、1904年(明治37年)に初代・清之助が創業した。清之助は12歳から衣川・増沢にて漆塗りを習得し、19歳の時に、御膳を木地から製造する漆器製造元「丸三漆器工場」を立ち上げた。秀衡塗は、三代目真三郎から。御膳の需要が少なくなってきた当時、1970年(昭和45年)に「岩手国体」が開催されることとなり、何か岩手の工芸品を全国に伝えられるものは作れないかと考え、盛岡在住の日展作家、古関六平氏に指導を受けて開始したという。


「平泉の中尊寺のすぐ裏手に衣川地区というのがありまして、そこに増沢塗りというのがありました。一度はなくなってしまったのですが、秋田の川面塗りという産地があって、1871年(明治4年)に、そこの職人さんが移り住んで、また秀衡塗を作りつないで、この技法が今まで残ってきたのです。

一関市大東町のここも昔は漆器の産地だったそうですが、時代の流れとともに畳む漆器屋が多くて、うちだけが残りました。秀衡塗の場合は、うちと、平泉の翁知屋さんの二軒だけが残りました。両家の技法、意匠としては、はほぼ同じです。ただ菱の大きさとか、雲の描き方とか、見ればその違いは明らかです」(青柳氏)


秀衡塗の復興は、1935年(昭和13年)に、民芸の父といわれる柳宗悦による調査により、増沢塗職人が秀衡椀を秀衡塗として復元し、広く作られるようになったという。


「柳宗悦が、秀衡腕の良さを伝えたいということで岩手を訪れて、そらからまた作る職人が増えたということです。じつは、もともと秀衡塗のアイテムとしては秀衡腕だけで、残っていたものとしては、三つの組腕、これが一番古い形です。

うちでは、秀衡塗りを創業当時から作っていた訳ではなくて、冠婚葬祭で使うお膳作る工場でした。お膳とかお盆を生地から作る、いまもずっとやっているのです」(青柳氏)

 

秀衡椀の組椀

はるか縄文の古から、森林資源に恵まれたここ岩手では、良質な素材にはことかかない。豊かな自然の恵みが、この土地の工芸を支えている。秀衡塗は、冬期に山から切り出された朴(ほう)、欅(けやき)、栃(とち)等の天然木丸太で椀の土台になる木地作りから始まる。


「お盆とか重箱とかは朴の木を使います。材料は、森林組合から調達します。朴の木は、やわらかい木なので成形がしやすく、漆とも相性がいいので、がちっと固めて漆器を作ることができます。

お椀の場合は、栃の木や欅の木、水目という木を使うこともあります。木目が綺麗なのは欅の木ですね。木目が綺麗に出ているのを塗りにするには、逆に木目を漆で消さないといけないので、時間がかかってしまうため、全部塗りにするのは下地がやりやすい栃の木を使います」(青柳氏)

丸ものの生地
生地から自社で作っている重箱。このようなグレードの高い工芸品も最近では引き合いが多い。

 

丸三漆器は、初代・清之助より言い伝えられている「いい物を造れ」という言葉をかたくなに守り、木地作りから加飾までを一貫して作り続ける唯一の秀衡塗工房であるという。


「うちでは、お重などの四角いものは生地から作っています。生地から手がけると、商品になるまでがスピーディーですし、いろんなものを試しながら作れるので商品開発には良いことです。また、地域の職人さんにも生地を頼んで作ってもらってもいます。岩手では、志波に、丸ものの生地を作る職人さんがいます。産地化されているのは、大野木工といって、沿岸の広野町で作っています」(青柳氏)


仕上がった木地に、漆をしみこませ、木地を固め、継ぎ目に和紙を張り強度を持たせるのが下地づくりとなる。


「お重は、5枚の板を継いで、継ぎ目が見えないように地元で漉かれている東山和紙を貼って、漆を塗ります。漆は固まって木の中に入っていくのですが、下地をしないで塗ると、線がぴしっと出てしまうので、それが出ないように和紙を貼るのです。

この下地が、一番時間がかかります。目止め、下地があって、研ぎがあって、塗りがあって、また研ぎがあって、さび付けなどがあってと、だいたい十工程あります。塗りについては、下塗り、化粧さび、中塗り、化粧さび、上塗りをしてお仕舞いの五工程です。絵付けと箔は同時です。漆を半分乾かして、その日のうちに金箔を貼ります」(青柳氏)


秀衡塗の塗り面は「塗り立て」、もしくは「花塗」という仕上げ方で、最後に艶出しや研ぎはないため、空気中の塵や埃が入らないよう細心の注意が必要となるという。


「絵付けもセンスが問われるので難しいのですが、やっぱり漆器づくりで一番難しいのは、塗ですかね。つるっと塗るのは大変だと思います。秀衡塗や岩手県二戸市の浄法寺塗、秋田の川連漆は、「塗り立て」といって、塗りの職人さんが塗ったら、乾かしてそれで完成です。漆の研ぎ出しをして磨くわけではないので、そこに塵や埃が入ってしまうと商品になりません。その環境を整えるのも大変なのです」(青柳氏)

漆は湿度に反応して固まるので、工房の温度は高くして湿度を上げている。


最後は、秀衡塗の特徴となっている源氏雲と有職菱文を入れる工程となる。描かれる草花紋は伝統技法である「漆絵」で描かれる。


「塗の職人はまだいいのですが、絵付けをする職人さんが少ないのが課題だと感じています。岩手県内でもちゃんと絵付けができるのは、五人くらいしかいません。そのうちの二人がうちなのですが、翁知屋さんに一人いて、あと個人でやっていらっしゃる方が花巻と盛岡に一人ずついます。昔は全部社内でやっていたのですが、新しい商品を作っていくうえで、外部の職人さんにもお願いしています」(青柳氏)


丸三漆器は、お料理などの普段使いにも楽しむ「秀衡塗のある暮らし」を提案するとともに、新しい漆器の開発に取り組んでいる。



丸三漆器の人気商品には、「漆絵グラス Hidehira」がある。


今のお客さんに求められるものをつくっていければ、漆器の伝統も守れるのではないかと思い、ガラスに絵を付けたものとか、拭き漆の普段使いになるものに力を入れています。

漆は優秀な塗料で、形の変わらない素材であれば、ほとんどのものに塗れるので、ガラスにも塗れます。ガラスの上に下地を引いて、その上に描いています。漆絵グラスは、うちの父の代から作り出した商品で、贈答品にも人気の商品です。当時、日本橋高島屋の桜フェアで作ってくれといわれて試しに作ったのですが、お酒を注ぐと桜が浮き上がって綺麗だと客さんからいわれて、定番商品になりました。梅や富士も人気です」(青柳氏)

漆絵グラス「Hidehira」は、四代目一郎が、2002年(平成14年)、試行錯誤を重ねシャープなガラス面に温もりのある漆の絵付をする技法を完成さた。

 

 

また、弟の匠郎さんが手がけている「FUDAN」も丸三漆器の新しい境地を拓いている。


「塗は弟が中心にやっています。FUDANは、弟が、安比塗漆工技術研究センターで技術を習得して帰ってきた時に、秀衡塗りの技法でもっと普段使いの商品ができないかということで開発した商品です。自分が作ったものを、棚の中に仕舞ったままにしないで、日常で使って欲しいという思いからです。

FUDANの特徴としては、欅(けやき)を使った丁寧な拭漆(ふきうるし)ですね。漆を刷毛で塗って、布で拭くのですが、目止めをして、塗って研いで、塗って研いでと、それを何度も繰り返しているのです。一般的な拭漆は、通常3回程度しか拭きませんが、秀衡腕では8回ほどの手間暇をかけています。やっぱりザラザラ感がないので、そこの丁寧さがこだわりです。かといって、かけた時間を値段に転嫁できているわけではないのですが(笑)。

そして、FUDANの形は、秀衡塗の秀衡腕を基本のモチーフにして作っています。秀衡腕は、高台が高いのが特徴ですが、もともとの秀衡椀の半分くらいの大きさにすると、普段使いに丁度よいお椀の大きさになります。胴張りが大きくて、ちょっと上に行くと窄まっている。昔の形なのですが、新しいフォルムに感じさせるのです」(青柳氏)

 

新ブランド「FUDAN」は、木目が美しい欅の木地をマットに仕上げた外側と艶を上げた内側のコントラストを拭漆の技法で仕上げている。拭漆は塗りに比べ漆の剥離が無く普段使いに最適で、使うほど手に馴染む変化を楽しめる。

 

最後に、これから丸三漆器が目指している方向を伺った。


「秀衡塗は、この地方にしかない伝統工芸です。この技法を継承しているのは、うちと翁知屋さんの二軒しか残っていません。ですから僕らが、何としてでも作り続けないと、たぶん一瞬で無くなってしまうものなのです。岩手県、この地域にとっては、とても大事なものなので、ずっと作り続けていきたいと思っています。そして、この秀衡塗を継承していきつつ、いまのお客さんに新しい漆器の世界を提供したい。現代に求められる漆器を新しく作っていきたいと思っています」(青柳氏)

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