博多伝統工芸

博多の伝統工芸品に触れてみて、博多織のしなやかさ、博多人形の気品、博多曲の温もりを感じてみたいあなたへ

    博多織

    博多織は、生地が優れ、縦糸の浮き出しによる紋様の数々に特徴のある帯地である。1241年に博多商人の満田彌三右衛門が承天寺の聖一国師と共に渡り、織物技術を学んで帰国。独自の意匠をほどこしたのが博多織の起源と在っている。

    博多織 HAKATA JAPANにて

    強く、丈夫な帯地と、

    伝統ある博多献上紋様

     

    「博多織と言っているは、鎌倉時代から続いている日本の絹織物です」と言う鴛海さんによると、国が認めた伝統的工芸品としての帯の産地は、日本で3つしかないという。福岡の博多織だ。フォーマルな帯を生産してきた西陣、桐生に比べて、博多織は、普段着の着物の帯で、毎日着る着物、小紋、紬に絞める帯であり、しっかりとしたしっかりとした帯の産地として育ってきたという。

    「一般的に博多織と言っているのは、西陣織に比べて経糸の権利が、約1.5倍。そして緯糸をしっかりと確保して、世界中の絹織物に一番強いしっかりした絹の織物が産地になったのです」(鴛海氏)

    伝統的な柄としては、「博多献上紋様」があり、このデザインの下になっているのは、お坊さんが持っている法具の「独鈷杵」というものと「華皿」、それから右縞と細め縞の組み合わせ、それらを総称して博多献上紋様というそうです。

    「厄除け、家内特典、という意味がその博多献上紋様の中に書かれています。献上柄を見るだけで、福岡の博多を想起させるイメージって、それが何百年も続いているのです」(鴛海氏)

     鴛海伸夫(押海伸夫) 1959年福岡市生まれ。 博多織工業組合副理事長、株式会社鴛海織物工場代表取締役社長。 大学卒業後、1928年創業で、祖父の代から続く社長に入社したのち、2000年に博多織工業組合が立ち上がった「HAKATA」 2003年、同プロジェクトを直営店として引き継ぎ、今後も博多織の新たな可能性を追求した商品開発に挑戦し続けている。

    時間と労力を大切に、

    繊細な技術の積み上げの博多織

     

    博多織は、先染めの絹を素材とし、細い経糸を多く使い、時差糸を強くして、主に経糸を浮かせて柄を織り出します。

    「メーカーは、まず、生地の経糸、緯糸、それぞれの太さや撚りの強指定して生糸を仕入れて、博多織専門の染色さを業者さんに依頼して染めてもらいます。染めてきた糸を機にかけるまでの準備や機械の調整をして、織ります」(鴛海氏)

    明治時代以降は、図案を紋紙(パンチカード)にして、織り糸の上下動を自動化して織り上げジャカード機を用いて、複雑な紋様を織ることができるようになったという。

    「単純に生地を織る人が伝統工芸士と思われるかも知れませんが、博多織ができるまでには、伝統工芸士の技術が4つなのです。染織工程、意匠考証、いろんな織物を織るための機械をいじる工程、そして織るということ。この4つの技術が最終的に帯は織れません」(鴛海氏)

    いろんな人の技術と労力と時間を費やした仕事。 それがなければ博多織はできないという。

    また、鴛海さんによると、着物のマーケットは縮小しているが、博多織の若手の作家は増えているという。

    今回カプセルトイ用に開発した博多織は、なかなかな献上紋様で、経糸が3色ある三重織り。

    経糸を三段作る、ちょっと特殊な織り方だそうで、小物といえども決して手を抜いていない。あくまでも本物の素材を使って伝統的な織りを追求する博多織職人の心意気を見た。

     

    博多人形

    博多人形は、粒子の細かい粘土を焼いた素焼きの人形に彩色した土人形で、土本来のぬくもりが感じられるのが特徴といわれている。安土桃山時代の1600年に筑前福岡藩初代藩主黒田長政により、多くの職人が集められ、その中の職人の作った素焼き人形がルーツといわれている。博多人形師であり、博多人形商工業協同組合副理事長を務める後藤達朗氏に話を聞いた。


    博多の櫛田神社前駅のコンコースでは、博多人形の作品が一望できる 

    自由な造形に、

    彩色の技術で追究する写実性

     

    博多人形の作り方は、最初に人形師が粘土で原型を彫る。その原型で作った型に粘土を手で押し込んで、型から外して生地を取り出す。戦後は、型にどろどろにした粘土を流し込んで量産する方法が発達した。生地は天日で乾かして、窯で800850度位で焼く。それくらいの低温で焼くと、素焼きの水を吸い込む状態になり、絵の具で絵付けができるという。できた生地に水彩絵具や顔料、岩絵の具、金箔や金粉を使った金彩等で、手書きで髪の毛も一本一本描く。いろんなことを彩色の技術で表現するのだという。

    「基本的に博多人形というのは、昔から写実性を追求するというのが、人形作りのテーマです。そのなかで博多人形の作家たちは、自分の作りたい物、表現したいものを自由な発想と造形で現在やっているのです」(後藤氏)

    後藤さんによれば、博多人形としてのジャンルは145種類あるという。

    「美人もの、童もの、武者、能、歌舞伎、縁起もの、雛、干支、節句物、自由に作るインテリア的なものとかね。作者の技量、アイデアで作るのですが、粘土は何でも成形できるので、ものすごく便利な素材ですね」(後藤氏)

    博多人形の魅力は、いろんな作家がいて、いろんなジャンルのものづくりができていることだという。

    「きめの細かい彩色、肌の色、艶、リアルな感じを出すための工夫をどの作家も工夫している。布地、金属、木の質感、それらを様々な材料や道具を駆使して表現している。それを感じてもらえるのが魅力ですね」(後藤氏)

    後藤達朗(Tatsuro Goto) 博多人形商工業協同組合副理事長・後藤博多人形株式会社代表取締役。1951年生まれ。2014年、第65回新作博多人形展 福岡県知事賞受賞。2015年経済産業大臣功労賞表彰。未来志向の博多人形を目指しその時代の生活様式や人々の感性にあった人形の製作に努力している。

     

    多様で多才な作家たちの技による

    博多人形の創作の世界

     

    後藤さんによれば、人形の産地として、これほどの数の作家達がそれぞれの技能を誇っているのは、世界的にも例を見ないという。

    「ヨーロッパでも、ドイツのマイセンとか、イタリアのディアドロなどの有名な産地はあるのですが、作家と呼ばれる人はマイセンでも何人かしかいない。だからほとんど作風は一緒。博多人形では作家と呼ばれる職人は70名弱いるのですが、70種類の個性ある人形が出来上がっている珍しい産地なのです。土人形は全国いろいろあるのですが、新しい意匠を作り続けているのは、博多人形だけといってもいいと思います」(後藤氏)

    博多人形のおはじきは、円形の小さな素地に人物や縁起物を表した鑑賞用人形で、昭和期に土産物として親しまれた。型は手押しで成形し、人物や縁起物を浮彫状に描く。今回カプセルトイ用に開発したおはじきのひとつは、『干支の午をテーマに自由な発想で』と作家に依頼したら、ペガサスが出来上がった。「羽ばたく馬は縁起がいいし、博多座やめんたいこ、博多らしいモチーフのおはじきを楽しんで欲しい」と、ご満悦の後藤さんだった。

     

    博多曲物

     

    博多曲物(まげもの)は、杉や檜の板を熱を加えて曲げ、それを桜の皮で綴じて作られる木工品である。福岡市・筥崎宮の木器をはじめ、茶道具、弁当箱や花入といった品々がある。白木に縁起物の松竹梅と鶴亀を描いた、この地域で子どもの成長を祝う「ぽっぽ膳」と呼ばれるお膳も知られている。400年の歴史を誇る柴田家、当代、18代目の博多曲物職人、柴田玉樹氏に話を聞いた。

     

    博多曲物玉樹の工房にて


    自然に根ざした

    日本の様式美を器で表現する

     

    玉樹さんによると、博多曲物の素材は、杉や檜の針葉樹に限るという。

    「広葉樹は固いので家具に向いていますが、針葉樹は軟らかいので、曲げて器にするのにしやすい木なのです。作り方は、まず、前の日に水に浸して水分を染み込ませておいた杉の木を風呂釜くらいの大きさの窯で煮込みます。木の繊維が軟らかくなるので、熱いうちに丸とか楕円とかに癖をつけて変形させるのです」(玉樹氏)

    曲げた後は自然乾燥させて、桜の皮を紐として外れないように留めるという。

    「桜の皮は、外れない紐として縫うという役目もありますが、お客様から見て、正面がどちらかという位置を表しています。『丸前、角向こう』という言葉がありますが、丸い曲物は桜の皮は前に見えるように、角の曲物は後ろ側にするというのが、和食文化の定義でもあるのです。それと着物と一緒で、板が重なる部分はかならず左前になっていないといけません」(玉樹氏)

    曲物という器ではあるけれど、衣食住の文化を表現する日本の様式美そのものであると玉樹さんはいう。

     

    柴田玉樹(Tamaki Shibata) 博多曲物職人。1961年、福岡市東区馬出の創業400年以上の老舗に生まれる。1996年、17代目柴田玉樹(父)の死去に伴い、屋号も「博多曲物 玉樹」に改め工房を糟屋郡志免町に移す。2007年、18代目柴田玉樹(雅号)として襲名。2016年、福岡市技能功労者表彰。2017年、福岡県優秀技能者表彰。2018年、第20回福岡デザインアワード金賞。2019年、博多マイスター認定。伝統の技を守りながら現代の生活様式にもマッチした曲物の開発・普及に努めている。

     

    18代当主として博多曲物の技を伝承し

    生活道具の新しい美の世界を開拓する

     

    博多曲物の歴史は、遠く古代にまで遡る。神功皇后が博多の馬出で王子を産み、その胎盤を収める容器として曲物を作ったという物語がある。江戸時代前期には、藩の儒学者であった貝原益軒は、実地見聞に基づいて「筑前国続風土記」を書いた中に、筥崎八幡宮の西にある博多馬出町に曲物をつくる人々が暮らしていたと記しているが、柴田家もその一族であった。

    柴田家は、初代吉右衛門以来代々続く博多曲物の老舗で、玉樹さんは、先代の次女として生まれた。しかし、17代は、知人の保証人となって負債を抱え、病に伏して急逝してしまう。その父の技を習って育ち、代々続く家業を守り継ごうと決意したのが、他ならぬ18代玉樹さんだった。

    「男は石の上にも三年だけど、女の人は石の上にも十年です」と玉樹さんはいう。玉樹の跡を継ぐと言っても「女に何ができるとや」と言われた時代。「職人の世界は、作品で認められるしかないので、とにかくいい商品、長持ちする商品をと、負けん気だけでやってきた」と玉樹さんは振り返る。そして、十年経った時に、やっと人の見る目が変わったことを感じたという。

    「お客さんが喜んでくれるのを見て、いいものを作りよってよかった、自分のしてきたことが間違ってなかったって思えた。それが一番のご褒美やし、男も女も関係なく、職人ならいいものを作らんといかん」(玉樹氏)

     

    シンプルだからこそ奥が深い

    曲物づくりの難しさと、やさしさの表現

     

    「刃物を使って鉋をかけるのですが、やり直しがきかない作業だから難しい」と玉樹さんは言う。数字にすると、僅か0.01ミリの世界だと。底板をはめる時にも髪の毛一本分でも隙間があったら水漏れするし、むりやり板を叩いて締めたとしても、湿度で膨張したら枠が割れる可能性もある。その加減が難しいという。

    最後に博多曲物の魅力を訊いたところ、玉樹さんは、しばらく考えてこう答えた。「うちは、木目のいいもの、銘木しか使っていない。それを使って、結局、優しさを出すんですよ」と、質実剛健な職人技のイメージではなく、繊細な美と調和の感覚を口にする。

    「曲物の木目って、すごく癒しの効果があるのです。私は、視覚的な優しさをいかに表現できるかを考えて、お客さんが曲物を持った瞬間に、『これいいね』って、喜んで使ってもらえる姿をイメージして作っているのです。作り手としての喜びはそこですね」(玉樹氏)

    「ただ、曲物はシンプルな円柱でしかないから、変わった造形はできない。だから小物作りは難しいのですが、今回カプセルトイで開発した手鏡というのは、確かにありだなと思いました。こちらも新しい曲物づくりの再発見です」と、玉樹さんは結んだ。

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