河内長野に根付く国産黒文字楊枝の復活を志し、木の切り出しからスタートした女性社長の想いとは。

前略、河内長野のお祖父ちゃんの志を復活させた、国産黒文字楊枝づくりの物語に触れたいアナタへ。

1960年に創業された菊水産業株式会社は、大阪府河内長野市の地場産業である爪楊枝の製造・販売をしている会社で、社長の末延秋恵さんはその4代目である。国産爪楊枝を製造している会社は、現在日本で2社のみであり、河内長野市内では、菊水産業だけが残っている。

 

茶道で、和菓子を食べるときに用いられる黒文字楊枝。

 

「楊枝づくりは、昔は河内長野の地場産業だったんです。大小併せて50軒くらいあって、みんな農閑期の傍らに、爺ちゃんお婆ちゃんが削って業者に収めていました。ところが、平成元年くらいから中国産が大量に入ってくるようになって衰退していったんです。菊水産業の前は、場工(ばく)爪楊枝商店といって、私の曾お祖父ちゃんが創業した会社で、内職さん達に仕事を下ろして、できた製品を集めて爪楊枝業者に収めるみたいな仕事をしていました」(末延氏)

 

曾祖父が創業した会社で、職人として働いたのが祖父の場工耕司氏。祖父は、白樺の楊枝を量産化する機械を独自に開発したのだという。

 

「それで当時、まあたくさん作って、他にも工場を持っていたりしたのですが、昔やから特許も取ってへんし、簡単な構造の機械やったから、みんなそれを真似したんです。それを持って海外に行った業者さんもいてて、それで中国で量産し出したものですから、結局みんな爪楊枝から撤退せざるを得なくなったんです」(末延氏)

 

末延秋恵(Akie Suenobu)氏「菊水産業株式会社」/1978年、河内長野市に生まれる。1996年、大阪教育福祉専門学校卒業後、Webデザイナー等の職種を経験。2014年、祖父が創業し、叔父が社長を務める菊水産業に入社。2021年、社長に就任。

 

 

菊水産業の社屋はもともと祖父の家であり、小さい頃の末延さんはずっとここで過ごしていた。

 

「両親が教師をしていたので、私はめっちゃここに預けられていて、毎日、お祖父ちゃん、曾お祖父ちゃん、曾お祖母ちゃん、みんなで爪楊枝の作業をしているのを手伝いながら育ったんです。お祖父ちゃんは、黒文字楊枝を死ぬ間際まで、手作業で作っていました。母方の実家なんで、私の叔父さんが社長をやっていて、祖父が亡くなった後でも、黒文字をもう一回やりたいなあという話は、私もちょろちょろ聞いていたんです。ただ、跡継ぎもおらんし、経営もしんどいから、もう会社潰そうかみたいな話が出てきて…」(末延氏)

 

当時WEBデザイナーをしていた末延さんは、その話を聞いて、「どんな仕事かわからへんけど、会社潰すのだけはいやや」という気持ちだけで跡継ぎになることを決意したという。7年程前のことだった。

 

一品一品、心をこめて手で削る末延さん。

 

 

爪楊枝も地場でやっているのはうちだけやから、うちがやめたら終わりやから。

 

菊水産業に入社した末延さんは、さっそく国産黒文字楊枝の復活を志し、その製造機械を導入するために、ものづくり補助金制度の申請もした。

 

「ところが黒文字という木自体が、流通していなかったんですね。機械は作るけど、そもそも木はどこにあるねんという難題にぶち当たって、でも、補助金制度の期間は決まってるし、どないしよとなって、とにかく木に関係している人に会いに行きまくったんです。それが功を奏して、うちの山の黒文字切っていいよという四国の山主さんにも出会ったのですが、今度は木の単価が安すぎて、それを切ってくれる職人さんがいないんです。うちもそんなに高い値段で買えませんから」

 

 

材料は、秋に落葉してから春に芽吹くまでに伐採したものしか使えない。「養分吸っていたら、木の皮が剥がれていて、全然こんなふうにならないんです」と太田さん。1〜2年程乾燥させてから使う。

 

河内長野の黒文字楊枝なのだから、地場産の黒文字材でつくりたいとも思っていた末延さんは、誰も切る人がいないのであれば、自分で山に切りに行くことに決めた。

 

「山に自生はしてるんですよ。だから、手持ちの鋸でギコギコ切って、リュックに差して。それで、機械もなんとか完成して、生産を始めることができたんです。黒文字の木は、いい匂いがして、抗菌作用があって、魔除けの意味があるともいわれています。もともとこの辺は、高野街道といって高野山に参る人達の宿坊があった街で、昔、ある農家がお坊さんを泊めた時に、黒文字楊枝を作りなさいと告げられてものづくりが始まったという話もあるそうです」(末延氏)

 

機械を導入して、黒文字材も確保した末延さんであるが、その製造は思ったより簡単ではなかった。

 

「お祖父ちゃんが作った機械の現代版を作ろうと思ったのです。材の長さを揃えてカットして、縦に4つに割ったら、断面が扇形のものが4つできるじゃないですか。それの尖っているところをそぎ落としたら平べったいものができて、その先を削って楊枝の形にしようとするのですが、そんな簡単なもんじゃ全然なくて、結局、機械には一工程ずつ入れなあかんし、鉄とかと違って、木やから不揃いやし、節があったらあかんとか、ぱっと見まっすぐやけど、割ったらひねっているとか、難題ばっかり。結局、最後の削る工程が、この半製品が不揃いなゆえに、ロスがめっちゃ出て、なんか半分以上放してへん?みたいになるから、最後は機械じゃなくて、私が手で削ってるんです」(末延氏)

 

百円ショップにある海外産の黒文字楊枝の何十倍もの価格だが、それでもフランスからの発注もあるという。

 

白樺の爪楊枝も菊水産業ブランドで世に出せた。

 

黒文字楊枝を作ること、そして黒文字楊枝を知ってもらうこと。

 

「いざ商品を出してみて、売れる売れない以前に、こんなにも世の中黒文字楊枝知らんのかって、衝撃を受けて、それで、知ってもらうところから始めなあかんと思いました。知ってもらうきっかけになると思って、催事に出たり、百貨店に持って行ったり、楊枝を削るワークショップとか、全部引き受けてやってきたんです。その中で、国産の黒文字探してたんと言って、ピンポイントで買いに来はるお客さんとか出てきたりするんですね。だからバカ売れはしないけど、ほんまに求めている、針の穴くらいのコアな人達はいるということは分かりました」(末延氏)

 

黒文字楊枝を復活させて、末延さんが一番嬉しかったことは、自社の名前がついた商品を世の中に出せたことだという。

 

「菊水産業という商品は、店頭にあるようでなかった。B to Bの商売で、菊水産業の名前が表に出ることはほぼほぼなかったんです。取引もずっとお客さんのいい値で来たんですけど、黒文字楊枝はこっちの出し値で値決めができたというのが、一番の成果ですね」(末延氏)

 

祖父の形見の刃物で。

 

 

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