機械やAIで何でもできてしまう現代だからこそ、手彫りの価値を追究する先にあるものとは。

前略、柿渋色の型紙に、幾万の光の模様を透かし見るその彼方に、何百年と受け継がれた人の手が為せる技の行く末を見守りたいあなたへ。

伊勢型紙は、美濃紙を柿渋で貼り合わせた地紙に、彫刻刀で様々な文様を彫り抜く伝統的な技法だ。その発生については諸説あるが、江戸時代に入ると白子は紀州藩の天領になり、藩の庇護を受けた伊勢国の白子村、寺家地区は、型紙の販売・流通をほぼ独占し、型紙を彫る型彫師が集中して隆盛を誇ったという。現代では着物の需要が減ったうえ、工業的に染色するために、型紙の仕事が減っており、伝統的な技術の伝承が課題となっている。その世界に果敢に飛び込み、若き伊勢型彫師として挑戦を続けているのが那須恵子さんだ。

 

4つの専門技法で成り立つ伊勢型紙の世界

 

「伊勢型紙は、三重県鈴鹿市で伝承している、着物や浴衣、印伝、唐紙などに模様をつけるための染色道具です。その発祥は定かではないのですが、戦国時代の終わりくらいには鈴鹿の地にあったといわれています。型紙の大本は大陸から来ているのですが、日本そして鈴鹿に技術が伝来してからは、職人の意地でものすごい技の高め合いがあって、非常に細かいものが彫れる技術が特徴です」(那須氏)

 

あて場で突彫りをする那須さん。奥のあて場で錐彫りをするのは同じ親方に師事する妹弟子の丸田瑛子さん。丸田さんは、こちらに通いながら錐彫りの職人の元でも修行を積んで2技法の習得を目指している。

 

彫りの技法は4種類あり、それぞれに専門の職人がいるのが産地としての伊勢型紙の特徴である。

突彫り(つきぼり)は、伊勢型紙の技法の中でも錐彫と共に最も古い技法の一つで、穴の空いた穴板に複数枚の地紙を重ねて置いて、細い小刀で垂直に突くようにして前に彫り進む。機械では出すことのできない独得の温かみのある味わい深い図柄を生み出す。

 錐彫り(きりぼり)は、突彫りと同じく最も古い技法の一つ。細い半円形の錐を型紙に垂直に当て、錐を回転させながら小さな孔を彫っていく。彫る文様によって数種類の錐を使い分ける。

道具彫り(どうぐぼり)は、刃先が花、扇、菱などの形をした道具によって一突きで文様を彫り抜く技法。一枚の型紙に何種類もの道具を組み合わせ、整然とした文様を彫り出し、「ごっとり」とも呼ばれる。

縞彫(しまぼり)は、鋼の定規を添えて彫刻刀で均等の縞柄を彫り進める技法。刃を手前に引くことによって彫り込む技法で「引彫り」とも呼ばれる。後に糸入れを行い、文様が切れないよう補強する。1センチ幅に最高11本もの縞を彫ることもあるという。

 

「彫る技術は模様毎に4つあるのですが、それらを分けて専門的に修行するのが特徴で、他の産地はそこまでしません。彫りの分野を絞ると仕事の領域も狭まるのですが、伊勢型紙は一番大きな産地で、昔は仕事も豊富だったので、他の職人が真似できないまでに一つ一つの技術を高めていったのです。そして染める柄に合わせて、専門の職人に仕事が手配されるしくみになっています」(那須氏)

 

 

描くように彫る、最も古典的な突彫りの技

 

「私は突彫りの職人です。昔がわからないので、なんとも言えないのですが、今は仕事をするにあたって徒弟制度というのがなくなっている状態なので、技術を習う場所自体がありません。行政が支援している技術を保存するための研修制度では、その時に募集のあった技法を習う、ということになっています。岐阜県出身の私の場合は、研修生の募集がなくて焦っていた時期に、運命的に出会うことのできた親方の故・生田嘉範(よしのり)さんが、突彫りの職人だったのです」(那須氏)

 

突彫りは、かなり細かい模様が正確に彫れる技法で、彫り口に独特の揺らぎがあり、手彫りならではの温かみや味わいを感じられる。絵を描くように自在に小刀を操る高度な技術が要求され、表現できる柄の自由度は高いが現在では突彫りを要する染型紙の需要は限りなく少なくなっている。

 

「彫りの難しさでいうと、まずその前に小刀研ぎは難しいなとずっと思っています。道具を作るのと、使うのは、技術でいうと同じ位のウエイトがある。刃物が自分で研げないと、彫れないのです。逆に『これはいいぞ』っていうのが研げると、『できそうだ』っていう気持ちが湧いてくる、希望が湧いてくるのです(笑)」(那須氏)

 

 

「突彫りならではの難しさでいうと、穴板を下に敷いて、垂直に刃物を突き刺して空中で彫っているので、実はぐらぐら揺れているのです。なので、長い線を彫るとどんどん揺れが大きくなっていくので緊張します。親方は、かなり細長い格子を彫ったりすることができていました。そのレベルにはまだ到達できていないので、その目標に向かって歩いている途中です」(那須氏)

 

穴板
那須恵子(Keiko Nasu)氏 伊勢型紙彫師。1982年、岐阜県岐阜市生まれ。高校のデザイン科を卒業後、8年間岐阜の印刷会社に勤務。退社後、伝統工芸の仕事を探すうち、伊勢型紙と出会う。2010年に彫師を志して鈴鹿市に移住。突彫りの職人である生田嘉範氏に師事する。2014年、伊勢型紙彫刻組合に加入。以降、突彫りの技を極める日々を送りながら、新しい商品開発やワークショップ等を展開し、伊勢型紙の普及に尽力している。2022年、小紋型紙「二四萬柄」が藍田愛郎氏染めにて第69回日本伝統工芸展入選。2023年、小紋型紙「而今之光」が藍田愛郎氏染めにて第57回日本伝統工芸染織展奨励賞・天満屋賞受賞。

 

一目見た瞬間に衝撃を受けた、伊勢型紙彫師の技

 

「伊勢型紙との出会いは、会社を辞めて無職になってからです。私はものを作ることが好きだったので、手の感覚を突き詰めて黙々とやれる仕事がいいなって思って、京都や東京にも出向いて探していました。そんな時、雑誌で伊勢型紙を見せてもらい、なんだこれは!と驚き産地である三重を訪れました。そして実物を見て『これを彫れる人は、きっと頭がおかしい人だ』と、さらに驚きました(笑)。到底人が手で作れるとは思えないような、細かさと正確さがそこにはあって、『これが職業となるのだったら絶対にやりたい』と、28歳の春に鈴鹿に見学に来て、10月1日に引っ越してきました」(那須氏)

 

ただし、産地に人を受け入れる余裕などそうそうあるものではない。最初は、自分の熱意を伝えてみても、「ただやりたと言われても・・・」という反応だったという。

 

「伊勢型紙のイベントに顔を出したりして自分を売り込む中で、地紙の製造・販売業を営んでいる大杉型紙工業の大杉社長だけが、話を聞いてくれました。しつこく手紙を書いたり、体験したことを報告したり、社長から産地の現状を聞いて、素人なのに無謀にも商品を提案したりして(笑)。いろんな職人さんに会うと、『始めたかったら最初の1年や2年は小刀研ぎやな』ってみんな言うので、それをしないと修行が始まらないと思ったのです。それで、『小刀と研ぐための砥石を買いたい』って社長に相談したら、『道具を買うのなら、職人さん訊いた方がいい』と、その時会わせていただけたのが、生田嘉範さんだったのです」(那須氏)

 

「最初ここに来た時に衝撃的だったのが、親方のあて場(作業台)の隣に、もう一台机がしつらえてあって、電灯も新しく取り付けてあったんですよ。とにかく親方が優しい人でした。私はこのチャンスを絶対に逃すまいと、すぐに近くに引っ越して来ました」(那須氏)

 

 

 

楽しくてしかたなかった修業時代

 

自分のあて場を得た那須さんは、まさに水を得た魚のように修行に励んだことは想像に難くない。

 

「小刀研ぎが最初のスタートです。でも、刃物を研いだ経験もないので、金属の棒を石にこすりつけて、何が起こっているかまったく分かりませんでした。ずっとやっているうちに、砥石に当てているところがちゃんと減っていることが分かってくると、だんだん面白くなってきました。親方も、『彫らないと楽しくないだろう』と、研ぎを練習しつつ平行して彫る練習をするのですが、全然仕事を手伝えるなんていうレベルにはならないのです。親方には迷惑をかけて、幾度となく手を止めてもらっていました」(那須氏)

 

研ぎ

 

 

前職で、切り絵を制作する仕事をしていた那須さんにとって、紙を切る勘はいいが、最初は小刀の握り方も全然慣れなかったという。いままでやったことのない姿勢で指も痙りそうになりながら、「どうやって指を動かすんだこれ?」と四苦八苦。さぞかし辛い修行だったのではと、想像するのだが・・・。

 

「使ったことのない筋肉を使って、ほんと楽しかったです。始めたくて、始めたくて、どうしようもなかった修行ですから。身体は痛いのですが、気持ちは嬉しいのです。そして、染色用の型紙を彫らないと、伊勢型紙を覚えたことにならないと思ったので、着物を染めるための型を彫れるようになることを目標にしました。染める時は、ひとつの型紙を反物の上に順に送っていく「型付け」が行われるので、そのシステムが分かっていなくちゃだめ。模様の切り口をどう処理するかなど、難しい技術をきちっと一通りやれるようになったのは、3年ほど経ってからでした」(那須氏)

 

そのうえで、那須さんの手仕事を見ていると、まさしく人間業とは思えない。完成までにどれだけの根気と、途方もない時間を要するというのだろうか。思わず、「あなたは自分のことを天才だと思いますか?」という質問が口を突いてしまった。

 

「他の工芸の人達を見て、いつも『私、型紙でよかったぁ〜』って思います(笑)。工芸だったら何でもいいのではなくて、私にとっては型紙が一番楽にできることなんです。『時間めっちゃかかるから凄くしんどいですね』って、見えるかもしれませんが、一個一個の孔をただ綺麗に空けたいだけなんです。一個彫る度に、『もっと綺麗に彫れないかなぁ〜』って思いながら、次の一個をもっとうまく彫りたいと挑むその連続なので、一個一個に対する挑戦なんですね。多分どの彫師も一緒だと思うのですが、彫っている時は、その一個にだけ執着しているので、果てしないなんて感じない。気づいたら終わっていたという作業なんです」(那須氏)

 

技を究めようとする那須さんの毎日であるが、産地を取り巻く環境は厳しさが増している。

 

「親方から習った突彫りの技を本当は発揮したいところなのですが、突彫りの仕事って本当に少なくて、13年やっていても突彫りの依頼は十もないくらいです。浴衣とか手ぬぐい用の引彫りで彫る仕事など、頼まれた仕事をとにかくやっています」(那須氏)

 

2021年に彫った小紋型紙「二四萬柄」(ふしまんがら)と実際に染めた生地。型紙一枚につき4万個、6枚重ねて計24万個の孔を彫ることに挑戦した。

 

 

「型紙彫師の仕事は、注文を受けて彫って納品するのが基本です。一日8時間〜10時間、作業場からずっと出ないのが定番のスタイル。ただし、限界に来ている業界なので、仕事は待っているだけでは来ません。型が彫れている時間は幸せな時間ですが、今はそれ以外の時間が多くなっています。伊勢型紙が滅びないためにはどうするかという状況なので、展示会をしたり、新しい商品開発をしたり、ワークショップを開催したりしています」(那須氏)

 

手で彫ることでしか伝えられない、型紙の究極の美

 

伊勢型紙をもっと知ってもらうためには、どうすればいいですかという質問には、うーんとうなって暫く考えこんだ。

 

「伊勢型紙を知っている人は、そんなにはいないと思うので、まず出会ってもらう機会を作りたいですね。わざわざ人が手で彫って模様を作っていることを凄いと思う人もいるし、無駄だと思う人もいるし、いろいろいると思うんですよ。『わざわざ職人さんが何十年も修行してがんばらないといけない理由なんてあるの? レーザーカッターでいいじゃん』って。 だからこそ、実際に目で見て、人が手で彫る価値を分かってもらわないといけない。私は、人が手で彫ることで、幾何学的な柄が優しく伝わるとか、趣が出る、雰囲気がでる、味わいがあるというのが、その価値だと思っています」(那須氏)

 

小刀。左から、突彫り、引彫り、半錐(はんぎり、半円形の刃物)、道具彫りの道具。

 

「誰かが手で一個一個孔を空けたというので見て、そんなこと人の手で出来るんだと驚いたり感動することって、手仕事ならではのこと。だからこそ欲しくなるし、染職人の技も合わさって着物となり、それを身につけることが、職人さんの誇りを一緒に背負うことになる。そんな、人が人を想う気持ちで成り立っている世界。ただ綺麗だったらいいじゃないんです」(那須氏)

 

そういう意味でも那須さんは、型紙は染物を支えるものとして存在していることを知ってもらいたいと言う。

 

「データ出力で型紙の模様を切ってしまうと、それを染職人さんが手で染める時につなぎ目が悪目立ちして、逆に困ってしまうんです。でも手で彫ったものは、最初からゆらぎがある。ゆらぎを持った型紙の模様を人が手でゆらぎを持って繋ぐので、全体的に調和のとれた柄が出来上がるのです。だから人が手で染めてくれる限りは、その職人さんに応えるためにも型紙を人が手で彫るという行為は必要であると思っています」(那須氏)

 

親方の技と志を受け継いで

 

最愛の師である親方が亡くなったのは、2022年5月のことだった。ご家族からは、続けたいのであればそのまま親方の仕事場を使っていいと言われ、以来、住居もこちらに移して創作に没頭する日々を過ごしている。

 

75歳でした。ちょうど私が親方に追いつくために挑戦を始めた二作目の小紋型を彫っている最終日くらいに亡くなって、でも彫り上げなければいけなくて・・・。ずっと親方の背中で学んできたことは、技術だけではなくて、その人となり。誠実な仕事をするということ、そのために自身も誠実であれということ。あまり言葉では教えない人でしたよ、全然。言わないですけど、見ていればそれが伝わってくる人でした」(那須氏)

 

下は親方が彫った型紙から染めた生地。さらに柄の線も細いし長いことがわかる。「ここに辿り着かなければいけない」と、那須さんは自分自身を鼓舞する。

 

「私がここに来るちょっと前くらいから、親方は、小紋型の技術の追究を始めていたんですね、その時すでに62歳になっていました。たまたま昔の図録を見る機会があり、『僕は、こういうのが伊勢型紙であり、職人として挑戦すべき使命のように感じた』と。小紋型こそ伊勢型紙の原点だと気づいたそうなのです。それは、技術の維持というレベルではなくて、去年よりも今年、今年よりも来年の方がいいものをと、年に1回の発表の場に向けて、技術を向上させていく挑戦をしていました。その背中を見ることで、『ああ、伊勢型紙とは、いくつになっても向上心を持ってやり続けるに値する仕事なんだ』ということを教えられました。ですから自分もその姿勢を受け継ぎたいし、その憧れを持ってこれからも伊勢型紙に挑み続けたいと思っています」(那須氏)

 

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