前略、多くの茶人を魅了しつけた伝統産地で、“モノづくりをする者の責任”として常に進化し続ける職人に出会いたいアナタへ
茶人が特に好んだ三大茶碗を表す「一楽、二萩、三唐津(からつ)」。
その三大茶碗の一つと言われている “萩焼” をご存じでしょうか。
“萩焼” とは、山口県萩市一帯を中心に作られている陶磁器のこと。その歴史は400年以上にもおよび、戦国大名・毛利輝元が萩市堀内地区の指月山(しづきやま)で城を築いた際、萩の城下町に御用窯を作らせたのが始まりとされ、現在その指月山と城下町は世界文化遺産として登録されています。
今回取材したのは、そんな400年以上の伝統を誇る “萩焼” を、親子二代(父 波多野善蔵、息子 英生)で守り、進化させる窯元「波多野指月窯(はだのしげつがま)」。
萩焼作家として幅広く活躍する波多野 英生氏に、「萩焼の歴史の中で新域に挑み続ける想い」についてお話をお聞きしました。
偉大な父と受け継がれてきた歴史。“継ぐ不安より、モノを作ることが好きだった”
波多野指月窯の起源は、明治維新まで遡る。
「明治維新の際、お城を壊すのと同時に、それまであった萩焼の窯も壊すことになったようです。その窯を、お城があった指月山(しづきやま)にちなんで、“しづきがま” と呼んでいたそうなのですが、名前だけでも継いで欲しいとお声をかけて頂いたので、私のひいおじいちゃんが “しげつがま” という呼び名で継いだと聞いています」(英生氏)
そんな歴史ある波多野指月窯で作陶する英夫氏の父・波多野善蔵氏は、萩焼の一部に釉薬(陶磁器の表面を覆うガラス質の部分)を塗らずに焼き上げ、その部分を赤褐色に発色させる “緋色シリーズ” で認められ、文部大臣賞など数々の賞を受賞。2002年には、山口県指定無形文化財萩焼保持者に認定され、2013年に秋の叙勲旭日双光章を受章し、天皇陛下にご拝謁されました。
偉大な父の存在と受け継がれてきた萩焼の歴史。同じ道を歩み、継ぐことに不安はなかったのだろうか。
「有難いことに、色々な方からその質問をして頂きましてね、多分100回くらい考えて答えているんですけど、私はただ単に、昔から物を作るのが好きだったんですよ。3人兄弟でしたが、兄と弟は営業向きで、私だけが一日中黙々と作業することが好きでした」と英生氏は笑う。
茶人からも愛された、やわらかくて優しい “萩焼” の魅力
萩焼の特徴は、萩焼の表面に貫入(かんにゅう)と呼ばれる細かいヒビが出来ること。このヒビを通じ、使えば使うほど器の色味が変わっていく。これを “萩の七化け” と呼び、主原料である山口県内防府市大道産の白い大道土で焼成した枇杷色(びわいろ)と呼ばれる肌色とお抹茶の緑色がはえるさまは、茶人から深く愛された所以の一つだと言われています。
一度は萩市から外に出たという英生氏。しかしながら一度、萩市を離れたからこそ、 “萩焼” の魅力を知り、一層好きになったという。「日本には焼き物の産地がたくさんあり、それぞれの特性があります。その中でも “萩焼” はとても優しくやわらかい焼き上がりになります。“萩焼” は昔から茶人にも愛されていますが、そのやわらかい風合いが、お茶をぐっと引き立てるんだと思います」と英生氏は語ります。
“萩焼” が持つ幾通りもの可能性、それ故の「喜び」と「苦悩」
波多野指月窯で実施される窯焚きは年4回。英生氏はその窯焚きにあわせ、1ヶ月に約250個もの作品を制作しているのだそう。
「一日中工房にこもっている日もありますね。今回の作陶では、今まで使ったことのない土を使用しているので、焼き上がりはどんな色になるか、今からとても楽しみなんです」(英生氏)
“萩焼” は粘土を作る際、砂のブレンドする量を変えることで、焼き上がりの色や質感が変わるといいます。成形した器に施す釉薬も、波多野指月窯では自ら作り上げるため、作品自体の形だけでなく焼き上がりの可能性は幾通りもあるのだとか。それ故、思い通りに出来上がった時の喜びもひとしおですが、その無限の可能性が故の苦悩もあるだと、英生氏は柔らかい笑顔で話します。
「特に苦戦するのは、“同じ色で焼いてほしい”って言われた時ですね。うちは、ガスや電気ではなく、登り窯(薪窯)で焼いているので、“同じ色”で仕上げるのはすごく難しいんです」(英生氏)
電気窯やガス窯は、火を管理しやく焼きむらも少ない一方、薪をくべ、火をたく登り窯は、火の扱いが難しく、作品の仕上がりにおいて作陶家の意図を出しにくいのだとか。それでもなお、伝統的な手法である登り窯にこだわる理由は、何なのだろうか。
「私たちの仕事は、基本的に地球のものを頂いて作っています。例えば、原材料となる粘土も何万年も前からある材料から作らせてもらっています。釉薬の主原料も自然にある鉱物です。さらに、その鉱物を溶かしやすくするために、植物を燃やした灰も混ぜています。萩焼を作る全てを自然から頂いているんです。作陶家として、狙ったものを出していくのはすごく大切なことだと思いますが、お天気のように、自然に左右されるところも楽しみながら作ることができる、そんな登り窯の焼き方が僕は好きなんですよ」(英生氏)
英生氏が考える “現代でも使える” 萩焼とは
波多野指月窯のWebサイトには “萩焼の新しい領域を広げる” という言葉が掲載されています。萩焼の伝統を受けつつ、現代でも使える焼き物をモットーに作陶しているという英生氏の言葉に込められた思いを聞いてみました。
「材料や作り方、焼き方も、萩焼の伝統を大事にしています。しかし、この2~30年で日本人の生活環境や生活様式自体がどんどん変化しているとも感じていて。食卓に並ぶ料理も変わってきました。例えば、ひと昔までは食卓に並ばなかった “洋食” 。洋食の登場によって、使う器も当然変わります。花瓶もそうで、花といえば昔は “和花”でしたが、最近は “洋花” が主流になり、今は “和花” の方が手に入らないと聞きます。私たちの暮らしに変化が起きているからこそ、萩焼の良さを残しつつも伝統だけに捉われず、“この花瓶は和花だけでなく洋花も合うかな” とか、“この器は日常でも使えるかな” なんて考えながら作品を作っていますね」(英生氏)
萩焼の良さを残しながらも、現代の様式を取り入れていくその姿勢。言葉にするのは簡単ですが、それを具現化することの苦悩は想像するに堪えません。実際に日常でも使えることを考え、形にされた作品はどんなものがあるのでしょうか。
「例えばこの花瓶は、“萩に観光に来られた女性の方に買ってもらいやすいサイズ感と値段”を意識して作りました。昔と違って、一人暮らしの方が増えてきていますし、家庭で豪華なお花を買う機会がないんじゃないかと。そこで、“観光先からでも買って帰りやすいサイズ感と、豪華な花まではいかないけど気持ち玄関に一輪だけ挿す用の花瓶” をコンセプトにしました。さらに、飾る花がないときは、オブジェとしても飾れるようなデザインになっているんですよ。花を飾らなくなると、どうしても花瓶は押入れにしまい込まれがちですからね」(英生氏)
「私の今のとっておきは、マグカップです。私自身マグカップが好きでよく作るんですけど、これ、何を表してるか分かります? 同じ模様がマグカップの外側にずらっと20個あるんですけど…。実はこれ、ホールケーキの上にロウソクが20本乗っているイメージで作ったんです。成人を迎える方に、何か思い出として作ってあげられるものはないかなって。木箱に入れて販売しているのですが、20歳を迎える娘さんや息子さんがいるご両親にとても喜ばれています。これも構想段階からとてもワクワクしながら作らせてもらいました」(英生氏)と嬉しそうに微笑む。
アイデアのヒントは、「お客様との会話」にあり
英生氏が目指す、伝統と日常を融合させた作品。そのアイデアのヒントは、お客様との会話にあるといいます。
その理由はシンプルに “使う人が一番シビアだから” 。
「展覧会の催事場に1週間くらい立って、お客様から次のアイデアをたくさんもらうようにしています。“ここが使いにくい” とか、“もっとこうしてほしい” とか。でも、使い勝手ばかりを追求すると面白くなくなるので、意見をもらいながら、最終は自分の好みとすり合わせて制作を進めていますね」(英生氏)
作品と真摯に向き合い、お客様の要望と自分の理想を突き詰めアップデートしていく。時としてその2つが対立することもあるといいますが、最終的には自分の “作りたい” というモチベーションが大事だと英生氏は語ります。
「窯から出して作品を見た時に、毎回反省もありますが、またすぐに作りたくなるんです。この気持ちが無くなった時が僕は引退の時だと思っていますが、今のところ、窯から出すのがとても楽しみで仕方ありませんね」(英生氏)
英生氏からは “作陶を楽しむ” そんな心がにじみ出ているようでした。
常に進化し続けること = “モノづくりをする者の責任”
最後に、英生氏の今後の展望について伺いました。
「(コロナ禍以前までは)有難いことに、海外の方がお店に来られる機会が増えました。かつて萩焼は “和食の食器” でしたが、海外の方にも使っていただく焼き物になってきているんだなと思ったんです。これは言い換えると、“これからはもっと作り方や利用シーンを柔軟にしなくてはならない” ことだとも思っていて。日本と海外では、やはり主食や食器の使い方が変わりますからね」(英生氏)
「私は萩焼を作り始めて25年になりますが、父はもう50年以上。でも作品を仕上げるたびに、常にちょっとずつ進化をしています。たまに前の方がよかった、なんてこともありますが、それでも留まらずに何かしらの変化をしているんです。僕はこの進化が “モノづくりをする者の責任” みたいなものだと思っていて。私は今年で50歳になりますが、作陶家としてはまだまだこれからです。これから、本当にやりたいことがどんどん出てくると思いますね」と英生は微笑みます。
伝統を守りながらも、自由な発想で革新を試みる作陶家・波多野英生氏の焼き物への真摯な姿勢。
“常に進み続けることがモノづくりをする者の責任”
その言葉を胸に、きっとこれからも私たちに新しい伝統を提供し続けてくれるに違いありません。