前略、玉の組み合わせだけでも15桁×5個×12色=900通り、世界に一丁しかない自分だけのそろばんを作りたいアナタへ
今から450年程昔、天正年間の豊臣秀吉の時代、滋賀県の大津地方で製造法を習得した兵庫県出身の職人が、地元でそろばん作りを始めたのが播州そろばんの始まりと言われている。当初は兵庫県の三木市近辺で製造されていたが、徐々にその中心は隣接している小野市へと移り変わっていった。
日本で伝統的なそろばんの産地は、他に島根県の雲州そろばんがあるが、教育用として普及した雲州そろばんに対して、播州そろばんは主に業務用として発展し、全盛期の昭和35年頃には、生産量360万丁を数え、雲州そろばんよりも9年早い昭和51年に、通商産業大臣指定の伝統的工芸品に指定されている。子どもの減少とともにその生産量も減っているが、現代では、子どもの脳育ツールとしても再注目され、世界中にその魅力が広がっている。
その普及活動の拠点となっているのが、兵庫県小野市にある、「そろばんビレッジ」。天然素材から仕上げられた本物の播州そろばんの部材を使った、オリジナルのそろばん作りを体験できる。運営するのは、創業100年を超える株式会社ダイイチ。会長の宮永英孝氏にお話しを伺った。
豊臣秀吉の三木城攻めから物語が始まる、播州そろばんの源流とは、その神髄とは。
「そもそも、日本のそろばんは、室町時代の後半に中国から長崎に入ってきた後、滋賀県の大津に伝承されました。豊臣秀吉が三木市の三木城を兵糧攻めにしたときに、播州の人間が逃げていったのが、滋賀県の大津なのです。そこでそろばん作りの技術を習って、三木に持ち帰ったのですが、なぜ三木から小野に来たのかは、歴史的に解明できていません。そして播州の三木は、大工道具の金物の町、小野は、羅紗鋏とか鎌等の家庭金物とそろばんの町として発展したのです」(宮永氏)
そろばんを構成している部品の基本になっているのが玉(たま)で、樺の木等で出来ている。その玉を通しているのが、竹で出来ている桁(けた)。上1個、下4個の玉を分けているのが梁(はり)。それらを囲っているのが上下左右の枠(わく)で、高級品はアフリカ黒檀等で出来ている。
「播州そろばんの素材は、玉は岩手県の宮古市から入っているし、桁は、肥後竹ですが、京都府の福知山市から入れている。では、産地の強みは何かというと、そろばんの製造技術が全てここに集約されていることです。玉を削って磨くという工程から始まり、とうていよそにはできない技術が、ここ小野で息づいているのです」(宮永氏)
日本の中で、そろばんを作っているのは、小野の播州そろばん、それと島根県の出雲横田の2カ所のみ。ただし、現在雲州そろばんは、部品作りの3つの工程が出来なくなっているため、玉と桁を、播州から供給している。つまり、いま現在日本で作られているそろばんの素材は、100%播州で作っているという状況になっているという。また、雲州そろばんの場合は、一社の中で製造するのだが、播州そろばんは全部分業のため、その生産性は圧倒的だった。なんと、昭和37〜8年頃には、年間350万丁、小野で一日1万丁のそろばんを製造していた。
完全分業制で成り立っていた播州そろばんの地場産業
播州そろばんを作る工程は、玉削り工程、玉仕上げ工程、桁づくり工程、それが全部集まってきて最後に組み立て工程という、4つの分業制で成りたっている。
「播州そろばんは、小野市全体が町ごとの産地に分かれていたという歴史があります。ここ垂井町には、もともと桁ばかりを作っている工場が昔は8軒から10軒ほどありました。そして、北の方の久保木町や古川町というのは、玉を削る工場というか、家庭製内手工業でやってましたので、それが5〜60軒程ありました。玉の穴のくくりをしたり、玉を綺麗に化粧したりする玉仕上げと呼ばれる工程は、喜多町というところに集約していました。また、最終組立は、下大部町(しもおおべ)とか、日吉とか、来住(きし)とかの町単位で、組み立てばっかりやる職人さんがいるんです。
(株)ダイイチは、組み立て工場を持っていますけど、昔は全部削られて出来あがった玉を買い上げて、それを玉仕上げの工場に持って行って仕上げさせ、桁は作っているところから買ってきて、それらの材料を組み立ての職人さんのところに枠材料と一緒に持って行って、一個いくらで工賃仕事をしてもらっていたというのが、この辺の播州そろばんの製造形態です」(宮永氏)
「昔の小野は、それぞれの町にそろばん製造の資材が積んでありました。例えば、玉を削ったカスがワーっと置いてあって、それを燃やしていました。そろばんの問屋さんがずらっと商店街にあって、そろばんを全国に出荷していくのですが、ただ現在の小野市を見てもらってもそろばんを感じられるところはどこにもないですね。ですから、訪れた人にそろばんの町を感じてもらうために、伝統産業会館の前に、9メートル4メートル2トンという大きなそろばんのモニュメントが作られました」(宮永氏)
では、いいそろばんって、何だろう? そんな質問を宮永氏にぶつけてみた。
「この玉でもね、斧折樺(オノオレカンバ。斧が折れるほど硬いという特徴から名付けられた樹木)を使ってますけどね、輪切りにすると外側の年輪というのは大きいのですが、中に入ってくると緻密につまっている。芯の渦巻きの一番きついところにある玉を抜いたのを高級品の玉に使っていきます。外へ行くほど、年輪が大きくなっていきますので、密度が減るわけです。そういう玉の採れていく部位によって、赤かば、中赤かば、白かば、白白かば、というグレードに全部分けるわけです」(宮永氏)
また、組み立ての方法では、昔からの伝統的工芸の技法があるという。例えば、差し口の組み方が楔状(けつじょう)になっていたり、はと目が入っていたり。それと、裏側にはくり板というのが入っているのだが、そういう加工が入っていないと伝統的工芸品のマークはつけられないそうだ。
「いま、上手い下手を言う前に、職人さん自体がどんどんいなくなっています。後継者がいないんですね。私の次男が、宮本一廣さんという伝統工芸士のところで組み立ての指導を受け、今うちの工場に入っています。そろばんの伝統工芸士になるには、昔は20年間の修行が必要でしたが、いまは12年です。播州算盤工芸品協同組合で委員会があって、そこで伝統工芸士に認定します。現在、現役の伝統工芸士は、組み立ての工程で一人、玉削りで一人、の二人だけですね。次男は、あと5年で伝統工芸士の資格試験に挑戦できます」(宮永氏)
そろばん作りの楽しさ、おもしろさを追究する
「他の塗り物であれば、自由にいろんなものを作ってもいいのですが、そろばんの場合は、形が決まってしまっている。でも、それだけではあかんやろということで、いろんなデザインのそろばんをうちの場合は開発しています。それが播州そろばんを残すための手段だからです。地元のクリエイターである小林新也さんと一緒に、「そろばんは、それでないといけないのか?」というクエスチョンマークからもの作りに入っているんですね。ですからうちの若い職人にも、『そろばん作りのその面白さを自分で作って楽しめ』と言うのです」(宮永氏)
そろばんを売るのに、発想から変えていくことを信条としてきた宮永氏。「枠は黒くないとあかんのか、玉は茶色でないとあかんのか?」と、これも小林新也さんのアイデアで、材料をカラフルな色で染めた商品を開発。そろばん作り体験でも大好評を博している。
「これはもう玉仕上げの職人とは喧嘩ですわ。色を一色染める度に、染める染色釜を全部洗わなあかん。『そんな手間なことできるか』言われて。でも、『これがそろばんのこれから生きていく道や』と、なんとか納得してもらって、こんなカラフルな色使っている玉はうちしかないですよ。プラスティックの玉はありますけどね。ようは、ちっちゃい子からきれいな色でそろばんに入っていこうという気持ちができるんですね」(宮永氏)
そして、そろばんを使うよりも前に、物作りをする楽しみからそろばんの世界に入ってもらうことを目的として、宮永氏は、2012年にそろばんビレッジを設立した。
「もともと、小野市に来たときに、地場産業のそろばんを感じられるところが伝統産業会館しかありませんでした。あそこに行ったら歴史とかそういうのはわかるけど、いろんなそろばんがあるなあで終わってしまいます。それで、そろばんを感じられるところをつくろうと、そろばんビレッジを作ったのです。そろばんを感じるのはなんやいうたら、自分で自分のマイそろばんを作ろうと。ここには、いろんな種類の色が選べるという楽しさがあるんです」(宮永氏)
参加者の作ったそろばんの動作を調整して、最終仕上げをする宮永氏。楽しい口上を交えて、参加者を魅了する宮永氏だが、この時ばかりは、厳しい職人の目になった。
播州そろばん存続のためなら何でもやる
いま、製造メーカーとして、播州そろばん存続のために、製造方法の見直しを試みているという宮永氏。枠が大事なのか、玉が大事なのか、桁が大事なのか。そろばんの一番大事なのはどこかということを考えてみた結果、一番大事なのは、玉だということに思い至った。そこから、次のそろばん作りの世界が見えてきたのだという。
「そろばんの使い勝手の醍醐味は、玉が動いて止まる、また、動いて止まる、ということ。だから、玉と桁、これが一番大事なんです。(実演しながら)弾いた玉が動いて、ピシャッと止まりますから使い心地がええんです。だからまず玉と桁があって、あとは、上の枠、下の枠、両サイドの端(つま)、真ん中の梁という部品になる。今までそれらは、全て一本、一本組み立てた後で仕上げていたのですが、組み立てたらすでに仕上がっている状態にしたい。つまり、最初から玉と桁単体の精度を仕上げていければそれが可能になって、生産ライン効率が上がるし、そろばん自体の玉の運転も良くなる。昔からの製法で、枠や端や梁の仕上がりに暇がかかり過ぎるよりは、玉と桁、これに重きを置いて今後はやろうとしているところです」(宮永氏)
「ただ、職人さんにね、僕の考えを言うたって、今はできる人がほとんどいない。同じやり方していた方が、楽でいい、変えるのはほんと大変やから。ただ、若い職人には、なんとかやりがいのある仕事に変換してあげたい。伝統的な製造技法というのは、伝承していかなあかんのですが、それをやっているだけではなかなか難しい。だから大切な技法は残しながら、新たな生産方法を考えて今の時代に合ったそろばんを考えていく必要があると思います」(宮永氏)
「小野でも企業でやっているのはうちの一カ所だけ。うちがやめたら、播州そろばん自体が無くなってしまう」と、危機感を募らせる宮永氏。あらゆる手立てを使って、新商品開発や事業に挑戦していきたいと語る。
「やってみて、商品があくかあかんかは、お客さんが判断することやから、まずはやれ、と。やるまでにダメやと判断してしまうのが、一番あかん。行ってあかなんだら左へ曲がれ、左があかなんだら後ろへ戻れ、と、柔軟に進んでいかなんだらおもろないやろ(笑)」(宮永氏)
そう語る宮永氏。明るい人柄と、楽しい話のその裏側には、先祖から伝承した播州そろばんを存続し、日本のそろばん文化を世界中に広めたいという、燃えるような決意を感じたそろばんビレッジでの取材だった。
播州そろばんの伝統技術を直接肌で感じたいと思ったアナタへ。
CRAFT LETTERでは、兵庫・播州そろばんの産地にある工房で、あなたのためだけの時間を株式会社ダイイチの職人さんに作ってもらうことができます。その考え方、技法に触れ、ただ直接話すもよし、オリジナルの商品を相談することも可能な職人さんに出逢う旅にでてみませんか?