掘り出したままの天草陶石の味わいを生かした、 自由な作風を謳歌するものづくりの豊かさとは

前略、世界屈指の陶磁器原料である天草陶石を産出するこの地で、自由な焼き物を楽しみたいアナタへ

熊本市から車で天草へ、波ひとつ立っていないのどかな八代海沿いに西に向かう。上天草に渡る手前、三角港でクルマを降りて、海上タクシーで維和島の蔵々港へと向かった。大小の島々が連なるここ天草諸島は、三角から大矢野島〜永浦島〜大池島〜前島を経て天草上島まで5つの橋、いわゆる天草五橋で結ばれている。維和島にも、大矢野島から野牛島の西大維橋と東大維橋を経て陸路で繋がってはいるが、天草四郎生誕の地ともいわれる島の古を偲び、海路で入るのが相応しいとも、心地良いとも。何より太陽に照らされた海面の光が眩しく、頬に当たる風が気持ちいい。温暖な気候を活かした柑橘類の栽培や車エビの養殖業などが盛んで、海と山の幸に恵まれた島。「天草四郎が通ったかもしれない道」と名付けられた散策ロードもある。

 

海上タクシーで、海から臨む維和島。蔵々港が見える。

 

維和島に生まれ育った、天草の自由人

 

どこか南国風の民家の塀の上で猫だけがまどろんでいる。のどかで小さな蔵々漁港で出迎えてくれたのは、「蔵々窯」の許斐良介(このみ りょうすけ)氏その人。人なつっこい印象を感じる日焼けしたその顔に初めて会った気がしないのは、自分だけではないだろう。

 

猫の頭上の木を指さしながら、「昔はここまで海だったの。この木からから海に飛び込んで遊んでいた。大潮の時とか」と、許斐氏は、蔵々港の近隣を歩きながら案内してくれる。「天草四郎の母親の出生が維和島だということは、古文書に残っている。だから四郎自身もここの出身だということは否定できないのです」とも。漁港周辺の集落には、海の方を向いた恵比寿さんが、あちこちに鎮座している。それも海を司る神さまに相応しい、生き生きとしたカラフルな色彩をまとって。聞けば、許斐氏が、地域の魅力を再発見するためにと、恵比寿像のお化粧直しをして回っているのだとか。建立した当時のように像が彩られるのは、約半世紀ぶりのことだという。

 

装いを新たに彩られた恵比寿さんと許斐氏。筆が止まらなくなって台座まで塗ってしまうのは許斐氏らしい。「像を作った人もそれぞれ違うんでね、色を変えている」(許斐氏)と、一体一体違う配色で、それぞれの恵比寿像の特徴を演出している。

 

蔵々港から車で、山を登っていくと維和島でも一番高い山の上に、維和桜・花公園と呼ばれる少しだけ開けた敷地がある。小中学校跡地であり、その一画に「蔵々窯」が建っている。この地に一人で工房を作り、創作活動の傍ら陶芸教室も開いているのが許斐氏の活動だ。到着するなり、さっそく許斐氏は、自慢のコーヒーを淹れてくれた。それに手作りのビスコッティとチョコ。いうまでもなく、絶品この上ない。ようやく席に着いてもらって、自身の作風を伺ったところ、「基本、へんてこりんなものを目指しています」、以上、みたいな返答が返ってきた。

 

「蔵々窯を開いて、今年で31年目かな。最初の10年間は、信楽の土をベースにした粘土を使って作品作りをしていた。その後、天草陶石を使った磁器に変えたのです。ただ、僕は、めちゃくちゃひねくれていてね。通常なら白を目指すべきですよね、真っ白を。ところが、僕は、磁器の真っ白な色にまったく魅力を感じなかったのです」(許斐氏)

 

コーヒーとデザートを振る舞う許斐氏。工房のカフェギャラリーには、古い楽器が置かれ、許斐氏がマスターのジャズ喫茶のような空間になっている。

 

天草の西海岸に産出する天草陶石は、ブレンドしなくても単体で磁器を作ることができる世界的にも珍しい陶磁器材料である。その名のとおり、粘土ではなく、砥石にも使われている石であり、掘り出された陶石を粉末にしたのち、粘土状に調整する。磁器は陶器と比べると硬く焼き締まっていて、特に天草陶石で作られた製品は、白さに濁りがなく美しいのが特徴。現在は、優れた磁器原料として年間出荷量約3万トンを誇り、全国の陶石生産量の8割を占めている。

 

「蔵々窯」がある維和桜・花公園の展望台からは、八代海や天草諸島を一望できる

 

天草陶石に、白さ以上の魅力を見出した「蔵々窯」の作風とは

 

維和島から西に、大矢野島。その南が天草上島。その西に天草下島があり、その西海岸地帯では、良質な天草陶石が採掘できる主要な3本の脈があるといわれている。

 

「磁器になる陶石が採れるのは天草下島の西海岸にしかありません。こちらの大矢野にもそれに似たものはあるけど、磁器にするには質が落ちて、砥石に代わっている。僕が買っているのは、天草郡苓北町の木山陶石です。木山陶石は、内田皿山焼という窯元があって、たこつぼを作っているのです。もう一カ所、高浜焼というところが古い材料屋で、寿芳窯という窯元を持っているのですが、質がいい土で、有田の方にも送っています。同じ天草陶石でも脈がずれているのですね。僕は、わりとリーズナブルな木山陶石が好きなのです」(許斐氏)

 

許斐氏は、見捨てられている土に目を向けた。

 

「磁器を作ろうと思って、最初に材料を買いに行ったときに、磁器材料ができるまの工程を説明してもらった。陶石は、茶色いところと白いところと、砥石みたいに模様がついている。それを脱鉄(だってつ)という作業をして、白い部分と黒い鉄を分けてから、白い方だけを使うのです。鉄分の多い方は使い道がないので、工場の敷地に山積みにされていたのを見て、『あれ何ですか?』って聞いたら、『いらないものだ』と。その時、黒い方が面白いなって思ったんです」(許斐氏)

 

鉄分だったら釉薬になると考えた許斐氏は、捨てられていた黒い土をもらって帰ってきた。それを一回砕いて、鉄の粉にして釉薬に混ぜたという。陶石を砕く時には、スタンパーという大きな機械で潰すのだが、そうしても潰せない砂が残る。その砂も山になって捨てられていたので、もらって帰ってきたという。

 

「それがまた面白くて、逆に僕は白を目指さなかったので、いってみれば天草陶石をもとに戻そうと思ったのです、全部。天草陶石がもともとある姿を意識的に作り出す。それが蔵々窯のスタイルになった」(許斐氏)

 

許斐 良介(Ryosuke Konomi)氏 「蔵々窯」 陶芸家<strong data-mce-fragment="1"><span data-mce-fragment="1"> / </span></strong>1958年天草郡大矢野町千束蔵々島(維和島)に生まれる。<span data-mce-fragment="1"> 1980</span>年九州産業大学芸術学部美術科を卒業。中学校の教員を経て、<span data-mce-fragment="1">1988</span>年より、丸尾焼で修業を開始<span data-mce-fragment="1">(</span>本渡市<span data-mce-fragment="1">) </span>。<span data-mce-fragment="1">1990</span>年より、山本幸一氏(山幸窯)に学ぶ(熊本市<span data-mce-fragment="1">)</span>。<span data-mce-fragment="1">1992</span>年に開窯<span data-mce-fragment="1">(3</span>月<span data-mce-fragment="1">)</span>。<span data-mce-fragment="1"> 1997</span>年日本陶芸展入選(毎日新聞社<span data-mce-fragment="1">)</span>を皮切りに、<span data-mce-fragment="1">2000</span>年西日本陶芸美術展入賞(熊本県知事賞)、同年熊日総合美術展「<span data-mce-fragment="1">21</span>世紀アート大賞<span data-mce-fragment="1">2000</span>」グランプリ受賞(熊日新聞社)等、受賞歴も多数に及ぶ。

 

 

 許斐氏は、磁器を始めて最初の頃に作ったというオブジェを一点取りだして説明する。

 

「どぶがけというのをやるのですが、鉄の粉を溶かしたどぶという釉薬を付けて、それを水で洗う、スポンジで。どぶを拭き取るとそこだけ土の色になるのですが、この茶色い部分のところの色は、鉄で出しているんです。あらかじめ付けておいた線やヒビの処に、その色が染みこんでいくんですね。意識的にデザインとして残すようにしているんです」(許斐氏)

 

こうした作品を作り始めた当初は、「どうして白くてきれいな磁器をわざわざ汚すのか」と、磁器作家の先輩たちからは批判されたという。

 

「作品のモチーフは、どっちかっといえば、骨っぽい、流木のような素朴な感じにしたかった。そんな形が、ちょうど僕の感性に合ってたんです。こういう動物の角みたいなのを組み合わせた作品が、熊本県立美術館の収蔵品になっています。熊日新聞主催の2000年のアート大賞に出したらグランプリをもらった作品。それから僕のこの技法が認められて、それまで批判しとった人たちも、そうかそうかと、認めてくれたんです。なんで汚すんだって言われても、それは自分の価値なんで、曲げなかった。そこに目を付けた僕の新しい表現の仕方だったのです」(許斐氏)

 

かたわらの極薄い磁器を差して、許斐氏は続ける。ろくろの回し方にも独自の価値観があるという。

 

「ろくろ回していると、薄くて崩れるんですよ。あと半回転したら崩れる、崩れるちょっと前に止めておくと面白かったりするんで。そうそうギリギリの寸止めですね。だから、どちらかというとオブジェに近いですよ、カップの形をしたオブジェです」(許斐氏)

 

 

光沢のある透明無色の釉薬を透明釉というが、その作り方の技法は、生まれ育った天草への思いがあるようだ。

 

「僕の場合、天草陶石が透明釉の材料なんですけど、どちらかというとマットな色調になります。天草陶石が7割で、そこに土灰(つちばい)を入れているので、ほぼほぼ天草です。白石灰とか、カオリンとか、そんなのを使って透明釉にしたりするのが多くて、天草陶石をたくさん入れる作家は少ないのです。天草陶石を8割入れても透明になるのに、なんでみんなやらないのかなぁ。まあ、僕はまったくの勘でやってるし、人の意見聞かないから。本当はなんかの常識があるんでしょうね(笑)」(許斐氏)

 

「表面がボツボツしているのは、砂です。ガラス質の珪石(けいせき)。それを混ぜて焼くと出てくるんです。土ものっぽい磁器を目指していたんですよ」(許斐氏)

 

 

人生を楽しく自由に。許斐氏がそこに至った道のりとは

 

それにしても、昭和生まれにとっては、懐かしさが溢れる風情ある工房だ。

 

30年前に窯を作る場所を捜していた時、一目惚れしてここに建てようと、誰の土地かも分からんで、勝手に思ってた。今は市の土地ですが、結局借りることになって、よくよく調べたら国民学校の跡地だということが分かった。ちょうど記念館を作るために、下の小学校(許斐氏の出身校)から公園の入り口への移築があった。それで、建坪50坪、2教室分の木材と瓦がまるまる余っていたので、そっくりもらって、ここに自分で天井を高くして建て直したのです。」(許斐氏)

 

自分が学んだ小学校の建物が、今の「蔵々窯」になっているとは、なんとも不思議な縁を感じる話だが、当の許斐さんも元々は美術の教師だったという。何で安定した職業を捨てて、陶芸家に転身したのか。

 

「ちょうど学校が試験中の時に、他の先生はみんな試験監督で、僕だけ電話当番だったんですよ。当時僕は、陶芸クラブを作って、小さなろくろを買って遊んでいた。その日は、試験中なんでむちゃくちゃ静かで、職員室の前の長い廊下で一人ろくろを回していた。ただ無心に、自分だけが学校に一人いる感じで、『何だろう、この心地よさは』って、ふと思ってしまったんです。それで、丸尾焼の窯元に行った。もうやーめたって、だってあっちが絶対楽しそうなんだもん。最初は、見習いに3ヶ月来ますかと言われて、結局3年いた」(許斐氏)

 

「蔵々窯」の建屋は、許斐氏の少年時代の学び舎だった。

 

ただし、結局元校舎の工房で、許斐氏は今、陶芸を教えている。

 

「ほんとは教えたくないんですよね。あんまり手を加えたくないんです。どっちかといえばほったらかしの方がいいなあと思うんですよ。僕が教えると僕の作品に近くなってしまう。ろくろも簡単にできるんだけど、僕がちょっと手をくわえると僕のものになってしまう。でも、黙ってるとやっぱり作れなくて、むちゃくちゃなことするんで、こっちが大変なんですよ、焼くのが。だから教えるんですけど」

 

とは言っているけれど、許斐氏の指導は、やっぱり優しく、楽しい。陶芸教室参加者のもう一つのお目当ては、許斐氏が作る昼食のパスタだそうだ。

 

「じつは、焼き物より料理の方が好きなんですよ(笑)。僕の陶芸の師匠はもう亡くなったんですが、だいたいまかないはパスタで、よく作っていたんです。イタリアで修行してきた師匠なんで、コーヒーとチョコとパスタはいつも欠かさなかった。一緒に作る人とは、一緒に食べるのがいい」

 

「自分で練ればできるようになる。うまいへたは別として」と、許斐氏。

 

 

どこまでも自由な許斐氏は、昼間魚を捕って夜は三線を弾く、海人のような生活をしたいのだという。

 

 

「昔の漁師が使っていた船を譲り受けたんですよ。歩くぐらいのゆっくりしたスピードしか出ない、二人乗りの海面が近い船。釣り付き陶芸教室とかいいね。釣った魚を僕がさばいて、料理して、泊まって次の日また焼き物を焼く。やりたいようにやっていても、まあ赤字にはならない。これで借金があったら無理だね(笑)」

 

料理が好き。音楽が好き。

 

最後にもう一度、許斐氏のものづくりに対する思いを聞いた。

 

「昔っから変わりもんだと言われ続けてきたし、へんてこりんなやつを作りたかった。天草には、いっぱい窯元があるけど、結局同じ粘土で作ったものでも僕の作品だとわかる作品。例えば、200m先、500m先にあったとしても、僕の作品だと分かる。そういうのを目指したいかな、けっこう目立ちたがり屋なんで(笑)」

 

CRAFT LETTERでは、熊本・天草陶石の産地にある蔵々窯で、あなたのためだけの時間を職人さんに作ってもらうことができます。その考え方、技法に触れ、ただ直接話すもよし、新たな産地と出逢う旅にでてみませんか?

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